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2026.5.30

【髙橋史好(フミコーン)×慶應SFC】「自分だけが立てる住所」を探すこと Student#1 

髙橋史好(フミコーン)さんに、インド留学、慶應SFCでの起業、だるまづくりの歩みをインタビュー。他人と比べられない自分の場所の見つけ方と、繊細さを強みに変える考え方を聞きました。

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本企画は、慶應SFCに関わる人々の歩みや思考を記録し、社会へ発信していくインタビューシリーズです。SFCで学ぶ私たち学生が、同じキャンパスを経験した先輩たちに「大学での学び方」と「軸のつくり方」など、直接聞いていきます。

第3回目のゲストは、令和の時代に「だるま」で行列を作り、日本橋高島屋でポップアップを展開する髙橋史好さんです。群馬で生まれ、高校時代にインドへ留学し、SFCで起業。ベンチャーの代表というイメージから想像する「ガツガツした起業家像」とは少し違う、繊細で「気にしぃ」な自分を強みに変えてきたこれまでの歩みを伺いました。

「何者かにならなければならない」というプレッシャーに息苦しさを感じている学生に、髙橋さんの「ドキドキしない場所にいる」という視点は、新しい呼吸の仕方を教えてくれました。


「売れないわは言わない」ベンチャー精神

取材当日、髙橋さんは少し遅れてやってきました。理由を尋ねると、日本橋高島屋のディスプレイに飾っていた銀のだるまを「30万円で売ってくれないか」と中国人富裕層から交渉されていた、とのことでした。

——それ、売るんですか?

「売りますね。ベンチャーだから、その『売れないわ』は言わないんで全部」

柔らかく話す雰囲気の中に、商売人としての強さがありました。

「だるまの力すごいなと思って」

その言葉は、単に伝統工芸を扱っているという話ではありません。価値がつく瞬間を逃さないこと。予想外の出会いや交渉を、その場で事業に変えていくこと。髙橋さんの仕事には、偶然を偶然のまま終わらせない感覚がありました。


インドからの帰国後に再発見した群馬の「B面」

群馬県出身の髙橋さん。両親はともに学校の先生で、家庭は厳しく、テレビもゲームも制限される幼少期を過ごしました。

「家にも先生がいて、学校にも先生がいて。憧れる大人みたいなのも、とにかく安定していることとか、公務員であることがロールモデルだった」

そんな髙橋さんが転機を迎えたのは、高校時代。テレビの「インドに行くと人生が変わる」特集を見て、ネットで「インド 高校生 行き方」と調べ、ほぼ押し切る形で留学を決めたといいます。

「両親には、めちゃくちゃ反対されました(笑)。『なんで女の子がわざわざそんな危ないところに』って。でも、その時は自分の中で『今行かないと一生後悔する』みたいな変な確信があって」

——なぜ、高校2年生でそこまでの行動を取れたのか。

「相当危機感を感じてた気がして、当時。先が見えすぎたんですよ」

両親が思い描く、地元の国公立大学に進学し、群馬県庁に戻り、60歳まで安定して勤めて、そこからが余生——という人生の絵が、あまりにも鮮明に見えてしまった。それが髙橋さんを苦しくさせていたといいます。

「家庭が厳しかったからか、抑圧されて……ゲームも禁止だったし。だからその抑圧された分、外への好奇心みたいなのがフツフツとしてた」

父親が世界史の先生で、書斎には大航海時代の帆船の模型やヒエログリフのスタンプキットがありました。外のメディアが閉ざされた青春時代の中で、世界史の漫画と父の書斎は数少ない「異国への窓」だったといいます。

「インドに行くことがドキドキもしないし、行かないとも思ってなかったし、怖いとも思ってなかった、って感じでした」

そして印象的だったのは、インド帰国後に再発見した群馬の話です。

「それまで知ってた群馬と全く違う、B面みたいなのがあって」

最初に出たビジネスコンテストは群馬県のものでした。地元のメガネ会社の社長による財団がスタートアップを支援していたり、起業家支援のイベントが大規模に開催されていたり。「同じ群馬なんだけど、自分の考え方が変わると、こんなにチャンスが近くにあったんだと思った」と振り返ります。

最初の挑戦は、なんと、桐生市でトゥクトゥクを走らせる事業だったそうです。ビジネスコンテストで賞を取り、の場で地元の経営者がトゥクトゥクを買ってくれたことで、事業が動き出します。

桐生は、かつて機織りで栄えた街です。製造業の二代目、三代目の経営者も多く、新しいことを面白がる空気があると髙橋さんは話します。

「採算度外視で支援してもらえる土地柄だった」

同じ群馬でも、自分の視界が変わると、見えるものがまったく変わる。地元は「何もない場所」ではなく、まだ自分が接続できていなかっただけの場所だった。

髙橋さんの歩みは、遠くへ行くことだけが挑戦ではないことを教えてくれます。一度外に出たからこそ、足元にあった可能性が見えるようになることもあるのです。


挑戦が偉いわけではない

「これ結構、起業したいっていう若い学生の人とかと話してるんですけど、あまりに今って『自分らしく生きる』プレッシャーがすごい。『何されてるんですか?』『いや、何もされてません』みたいなのもあるけど、『自分らしく生きなきゃいけない』『挑戦しなきゃいけない』空気感が漂いすぎてて、それも病的だなと思って」

髙橋さんの話で印象的だったのは、「挑戦すること」そのものを手放しで肯定していなかったことです。

SFCにいると、「何をしているのか」を問われる場面が多くあります。プロジェクト、起業、研究、留学、インターン。何かをしている人が目立ち、何もしていない自分に焦る。

けれど髙橋さんは、その空気に対して少し距離を置いていました。

「自分が幸せに生きれればいいんですよ。安定して、温かい家庭を築いて、群馬で家族を大切にして、両親の近くで幸せな生活をするのが一番自分にとってのコンフォートゾーンなら、それが最高のキャリア」

「私はたまたまそうじゃなくて、飛び出すリスクを取ってる。けどあまりにこういう劇的なストーリーとか、挫折を乗り越えました、っていうストーリーが美化されすぎてるので、みんな手放しに挑戦をすることがカッコいいと思ってますけど、そうでもないなって」

「たまたま私はそれが欲しいものだったから、こうしてるっていうだけで」

SFCに身を置く中で「何者かにならなきゃ」と焦る学生にも突き刺さるような、等身大の自分を見つめなおすエッセンスがそこにはありました。

「比べられないドメイン」——自分だけが立てる住所を探す

——SFCあるあるの「何者かにならなくちゃいけない症候群」、どうしたらいいですかね?

この問いに対する髙橋さんの答えが、このインタビューの核でした。

「『比べられないドメイン』——ドメインっていうのはポジションを取る、っていうのが私の逃げ方だったんですよ」

高校時代にインドへ行ったことで、髙橋さんは「高校生でインドに行った人」という、周囲と簡単には比較されない経験を持ちました。SFCに入ってからは、インド向けのYouTubeを始め、フォロワー20万人規模まで伸ばします。

「『インドでYouTubeのフォロワーが20万人いるハタチの子』っていうだけでSFCではみんながザワザワ……で、ホッ、落ち着くみたいな」

そして今、令和の時代に「だるま」で行列を作る事業も、同じ発想の延長線上にありました。

AIやITの領域では、優秀な人たちが次々とスタートアップを作っています。数字で比較され、資本主義の座標の中で競争が起こる。そこに身を置き続ける体力と覚悟があるなら、それも一つの選択です。

しかし髙橋さんは、自分の性格を考えたときに、同じ座標で戦い続けることは苦しかったといいます。

「令和にダルマで行列を作ってるっていうのは私しかいないから、資本主義の座標でも比べられない」

——そんな中で髙橋さんが語った言葉が、強く印象に残りました。

「消耗されないとか消費されない『自分だけが作れる帝国を築ける住所を見つける』。住所探しが大事で」

「私みたいな結構気にしぃで、本当に普通の感性で生きてきた人にとっては、自分しかいない住所を探すっていうのがよかった。そうでもないと、たぶん苦しくて長く続けてこれなかった」

何者かになるために、強い人たちがひしめく王道に飛び込む必要はない。むしろ、自分が長く続けられる、ドキドキしない場所を探す。

それは逃げのように聞こえるかもしれません。でも、髙橋さんにとっては、その逃げ方こそが最も戦略的な選択でした。

きれいなテーマではなく、本音から始める

「自分だけの住所を探す」と言われても、そう簡単に見つけられるようなものではありません。

どうすれば、自分だけのドメインを見つけられるのか。

髙橋さんは、その答えを「きれいなテーマ」の中には置いていませんでした。

ビジネスコンテストに出ていた頃、髙橋さんは「大人受けすること」や「綺麗なストーリー」を作らなければならないと思っていたそうです。ゼミの先生が評価してくれるような、高尚なテーマを選ぶことが正しいと思っていた。

けれど、それで評価されても、どこか満たされなかったといいます。

なぜなら、本心ではなかったからです。

髙橋さんが向き合ったのは、もっとシンプルで、少し言いにくい欲求でした。

「もっと私を見てほしい」
「何してるの?って聞かれた時に、胸を張って答えたい」
「必要とされたい」
「尊敬されたい」

みんな、どこかで自分のことを見てほしい。気づかれないまま生きていくのは悲しい。だからこそ、「そんなことを思ってはいけない」と隠すのではなく、自分の欲と正面から向き合うことが大事なのだと話します。

インド向けのYouTubeも、外向きには「越境メディア」と言えるかもしれません。けれど実際には、画面に向かって「おいしい」と言う動画を撮ったり、インドの俳優を日本の大学生が格付けする企画を撮ったりしていたそうです。

「外向きには『越境メディアやってました』って言ってますけど、実際は、画面に向かって美味しいっていうコンテンツを200本とるとか、インドの俳優がイケメンっていうのを日本の大学生集めて格付けするってのでした。インドの人たちが喜ぶ動画を撮っていただけで、カッコよくはなくて...」

「でもそれは自分のドメインが欲しいからやったことであり、綺麗にしようとするといつまで経っても手に入らないって思っていました。」

自分だけの住所は、高尚な理念からだけ生まれるわけではありません。むしろ、恥ずかしいくらい正直な欲求を、かっこ悪くても具体的な行動に変えていくところから生まれる。

髙橋さんの話は、そう教えてくれました。


「気にしぃ」は強みだった——メタ認知が生まれた幼少期

——なぜそこまで自分のことを客観視できるのか?

「メタ認知がうまいのは、気にしぃだからっていう性格、それを強みに変えられたってことかもしれない」

両親が先生で、田舎で「髙橋先生の娘さんだよね」と言われ続けて育った髙橋さん。常に「みんなの目」を意識する幼少期を過ごし、家庭内のトラブルの際には「誰かの不機嫌を察知してケアをする」ことが得意になっていったといいます。

「お父さんが溜め息をついて、『あ、イライラし始める』っていう前に、何か差し込んで止める、とか。人の不機嫌にすごい敏感な幼少期を過ごしていた」

「人のことをすごい気にして見てるからこそ、『自分もどう見られてるか』の意識が常にある」

このスキルは「人間としては難しいというか、繊細で、生きにくくするスキルでもある」と髙橋さんは言います。実際、メディアに出る時も「『誰かがこう言ったら傷つくかもしれない』みたいなのを何回転もした後に言葉を出す」ため、体力をひどく消耗するそうです。

それでも、この「気にしぃ」の特性こそが、ものづくりの中での強みになっています。

インド向けYouTubeが伸びたのも、視聴者が何を考え、どんな言葉を求めているのかを感じ取れたから。だるまのプロデュースでも、300年続いてきたものをこの時代にどう見せれば人が反応するのか、その感情の機微を捉えられたから。

「だから起業家っぽくない、どちらかというとクリエイターとかプロデューサーの方が近いな、と思ってます。『経営』をしてるわけじゃなくて、『コンセプトを作ってる人』みたいな感じで自認してます」

弱さだと思っていた性格が、見方を変えると、自分にしかない強みになる。

髙橋さんの「気にしぃ」は、単なる繊細さではありませんでした。人の感情を受け取り、時代の空気を読み、ものの見せ方に変換する力でした。


スペックもストーリーもコモディティ化する時代に

髙橋さんは、これからの時代についても話してくれました。

「世の中に『いいもの』が溢れすぎている。服も、スペックのいいガジェットも。さらにこれがAIで、今までデザイナーさんに頼んでたものが言葉で入力したらすぐ出たり、パワポのスライドさえもツールがササッと作っちゃう」

優秀であること。技術があること。見栄えのいいものを作れること。

それらは、これからますます均一化していくのかもしれません。

一方で、「ストーリーで売る」ことも、すでに多くの人が見たことのある方法になっています。社会課題、女性起業家、地方創生、伝統工芸。そうした物語も、語り方によってはすぐに消費されてしまう。

「スペックもそうだし、ストーリーもコモディティ化してくる」

だからこそ、髙橋さんは「代表作」が必要になると言います。

AIにできない「ストーリー」を語ることでもなく、「いいスペック」を磨くことでもなく、「自分にしか作れない代表作」を持つこと。髙橋さんの仕事観の中心には、その確信がありました。


「I」が「We」に変わるとき

髙橋さんの話を聞いていると、最初の欲求はかなり個人的なものでした。

見てほしい。認められたい。何者かになりたい。自分の存在に気づいてほしい。

けれど、事業が続き、人が集まり、チームができる中で、その欲求は少しずつ変わっていきます。

「今はチームができたり、お給料を払う人ができたりして、みんながこの会社にいて幸せになったって思えるようになって欲しいですね」

「だるま関連では、日本の、伝統工芸品をリブランディングして世界に売っていくっていう事例だし、そういう会社の価値を決めるファーストペンギンとしての責任を感じています。私たちが転けたらこの市場ってなかったって思われてしまう。このポジションを取ってしまったからこその責任があると思ってます。」

その言葉には、単なる個人の自己実現を超えた責任がありました。

最初は「私が大事にされたい」だった。けれど今は、チームの人たちがこの会社にいて幸せだったと思えるようにしたい。伝統工芸を世界に売っていく事例をつくりたい。

髙橋さんは、それを「IがWeに変わった」ような感覚だと話します。


SFCは「ギークさ」と「信用」を両方使える場所

最後に、SFC生に向けたメッセージを聞きました。

髙橋さんは、SFCの良さを「ギークであることが許される場所」でありながら、「慶應のブランドや卒業生の信頼も使える場所」だと話します。

普通なら、かなり変わったことをしている人は社会に届きにくいかもしれません。逆に、信用やブランドだけを使っていても、自分だけのドメインは作れないかもしれない。

しかしSFCには、その両方があります。

ヘンテコなテーマを持つことが許される空気。変わったことを面白がってくれる環境。そして同時に、慶應という名前によって、最初の一回だけでも話を聞いてもらえる信用。

この二つをどう使うか。

髙橋さんは、そこにSFC生の可能性があると言います。

ただし、それは待っているだけで手に入るものではありません。SFCに入れば何とかなるわけではない。面白い人が勝手に目の前に現れるわけでもない。

自分で取りに行く必要があります。

その時に大切なのは、いきなり人生を賭けることではありません。

「楽しいとか幸せだって思える範囲で、一歩踏み出してみる」
「戻ってこられる範囲で、少し身銭を切る」

時間でも、お金でも、恥ずかしさでもいい。少しだけ自分の持っているものを差し出してみる。完全に安全な場所からではなく、でも戻ってこられる範囲で、一歩だけ不可逆な行動をしてみる。

その小さな身銭の切り方が、自分の住所を作っていくのかもしれません。


インタビューを終えて

髙橋さんの話で一番印象に残ったのは、「ドキドキしない場所にいる」という言葉でした。

挑戦というと、私たちはつい、リスクを取って未知の世界に飛び込むことを想像します。苦しくても頑張ること。怖くても前に進むこと。大きな社会課題を掲げて、自分を奮い立たせること。

でも髙橋さんが語っていたのは、それとは少し違う挑戦の形でした。

自分の弱さを知ること。王道の競争に向いていない自分を認めること。見てほしい、認められたいという本音から逃げないこと。そして、その欲求を、かっこ悪くても続けられる行動に変えていくこと。

それは決して「楽な道を選ぶ」ということではありません。比較されない場所を見つけるためには、「資本主義の座標」から一度降りて、自分にしかない切り口を見つけ出す手間がかかる。そして、そこで地道に「代表作」を作り続けるエネルギーが必要です。

第1回の佐々木紀彦さんが語った「比較競争に入ると地獄」、第2回の柳澤大輔さんが語った「目の前のことを一生懸命やる」。髙橋さんの「自分だけが立てる住所を探す」という姿勢は、その延長線上にあるように感じました。三者に共通しているのは、「他人と同じ物差しで戦わない」という選択です。

「自分らしく生きなきゃいけない」というプレッシャーに疲れているSFC生にとって、髙橋さんの言葉は救いになるかもしれません。漠然と挑戦という二文字にとらわれるのではなく、普通の感性の延長で生きてきた自分、何者かになりたい欲求を受け入れた上で、長く続けられる場所を見つけていく。

——ドキドキしない場所で、自分なりのドメインを築く。

髙橋さんの話を聞いて、SFCでの過ごし方も、卒業後の進路も、少し違って見える気がしました。